良心が正常に機能してくると?(12)
前回は、バプテスマの真の意義と次の工程という動画でした。
そのおさらさい
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儀式上のバプテスマをうけたら、もう大丈夫と安心してしまったものが少なからずいた。バプテスマの真の意義を見失って、良心を正常に機能させる努力を怠っていたものが多くいた。
使徒ペテロはこのような状況に危機感を感じて、全教会に釘をさすいみで、バプテスマの真の意義を書き送った。
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現在、ある方々は聖霊による証印が押されていて、仮選別されたの状態にある。それを確かなものとするために、終わりまで守り通すための次の工程として⬇️
下記のようなプレイヤーを……
良心と聖霊には密接な関係がある。
今回の動画は、大きな苦難の最終日「ハルマゲドンの決戦にあなたは加わりますか?」のシリーズ《良心が正常に機能してくると??》(12)
良心が正常に機能してくると、何を渇望し、何を求め、何を行うようになってくるのか?その点について、いくつかの聖句をみていく。
まずは、ローマ人への手紙14章7.8節
ここで訳されている、主=ヤハウェ
このことに関する関連聖句が
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次にコリント人への第二の手紙5章14.15節
良心が正常に機能するようになってくると、ヤハウェとイエス・キリストに対する愛や感謝を抱くようになる。この愛や感謝を生き方によって表すよう、そのように動かされるようになる。
次の聖句は……
ペテロの手紙一2章9〜12節
特別なものとして、ヤハウェからみていただいているという感謝、認識。
10節はここに書いている特権に対する感謝と認識の故に11.12節に書かれている助言を真剣に当てはめるように促される。
特に9節の後半、暗闇の中、つまりサタンの権威から解放し、驚嘆すべき高次元側へと招き入れてくださった方、ヤハウェとイエス・キリストからの力ある業、要するに真の救済策を知ることができた。
現在十四万四千人として仮選別されている状態にあって、良心を正常に機能させる努力をしているものたちは、新の救済策を1人でも多くの人に伝えたいという衝動にかられる。ここでそのような衝動にかられないということは……まだ聖霊による証印を押されていないと考えてもよいかも?
なぜこのようにいえるのか?
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そして
大事なのは15節❗️
実際に語ることができた時には、自分に与えられた使命を行えたことの喜びや満足感がうまれる。
もちろん責任も生じる。聖霊による証印が押され、良心が正常に機能してくれば、そのような使命感がどんどん増してくるようになる。
イエス・キリストがヨハネによる福音書18章37節で語られた時のイエスの気持ちと同じ心境を味わうようになる。
次に……
ペテロの第二の手紙3章9.15節
私たちはもうまもなくヤハウェのご予定のときに、このルシファーの世が跡形もなく滅び失せてしまうことを知っている。そして、それまでの残された期間というのは、この世はさらに悪い方へと進み、ますます手がつけられなくなることも知っている。だから、このルシファーの世も、この世に存在する悪魔、全てをリセットしてくださる主の日の到来を、私たちは切なる思いで待っている。
自分さえ救われたらいいという利己的な動機からではなく、このルシファーの世で多くの人が苦しむのを1日でも早く終わらせてほしいという気持ちから生じる願い。
これは正常な願い。
ただ最初はとにかく主の日が1日でも早くきてほしいという気持ちがまさっていたものが、自分の良心が正常に機能してくるに従って、ヤハウェが仮選別したものたちのなかで、まだ霊的に進歩が必要な人が救われるまで、1日でも長く待ってほしいという気持ちも抱くようになる。他の人も整えられるようになるようにねがうようになる。
では、自分はどの程度まで整えられているのか?
ヤハウェが望まれる人格と特質と今の自分を考えると十分整えられているとは、とても言えないはず。
普通は少なくとももう少し待ってほしいとおもう。ヤハウェは自分のために長く忍耐してくださっている。その主の寛容さに対する感謝の気持ちが強くなってくる。
主の日の最もふさわしい日をご存知なのはヤハウェ。悪魔が支配する世が終わってしまう最後の時代に生きている。何が起きるかはその時になってみないとわからない。