聖書を正しく理解する為の助け(5)

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https://youtu.be/j9NIMPUgWek

マタイによる福音書5章10〜12節は普通に理解できる部分ですので、また時間があれば解説させてもらうが、今回は飛ばす。

 

今回は13節は解説する。
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あなたがたは地の塩であるとありますが、ここを理解するためには、まず塩というものがバイブルの中で何を象徴しているのか?ということ、そして、当時の塩がどういうものだったのか、知る必要がある。

でないと、この部分だけを読んでも意味がわからない。日本人の感覚からすると、塩の効き目がなくなる⁉️

役に立たず外に捨てられて人々にふみつけられる⁉️どういうこと?ってなる。

塩=塩化ナトリウムというものが、塩気がなくなるということは本体だけが残って、塩味だけなくなる?ということはありませんから、塩気、味がなくなると言うことは、残るものは何もない、なくなってしまうとうこと。それで、ある聖書学者もこう述べている。塩気はこの物質の本質そのものである。ですから、塩気がなくなるなら、残るものは何もないということ。でもここでは塩気がなくなると外に捨てられるとある。これはどういうことなのか⁉️

当時のユダヤ地方で使われていた塩がどういうものだったのかまず知る必要がある。

それがわかるとこの聖句の意味もわかると思う。

ここで言われている当時の塩は、植物質や土質の物質と混ざり合っていた塩で、そのような不純物を相当量含んでいたものだったらしい。当時も今の我々と同じように、味付けとして食用に使う為の出来るだけ精製された塩もあった。いわゆる調味料としての塩です。しかし、ここでイエスがご自分の弟子たちに対し、あなたがたは地の塩であると述べたとき、どういった塩に言及したのか⁉️

当時、ヤハウェの神殿の祭壇の近くに多量の塩を置くようにと規定があった。そのとき、使用されたのが食用の塩ではなく、先ほど述べた不純物の混ざった塩を用いたということ。もうわかると思うが、雨などが降ると、塩は溶けて無くなってしまう。でもその中の塩以外の不純物はそのまま残る。つまり、塩気のなくなったただの残りの不純物ということ。そういうものは捨てる以外にどうしょうもないですよね?そのことを言っている。

当時のイスラエル人は精製された食用の、つまり、味付け用の塩と何かを保存する為の塩とを使い分けていた。食材を保存するときや、祭壇の脇に盛り上げてあった塩は、腐敗を防ぐ防腐剤の役割としてこのような塩を使っていたわけです。

当時は今のような精製技術が発達していなかったものですから、食用の塩は、大変貴重だった。

繰り返すが、物を腐敗させないように使ったり、祭壇の脇に置くものとしては、そのような塩を使っていたということ。土というと、汚いイメージがあるが、小さい砂利などが混じった砂よりも少し大きめの砂利のようなものが混じった塩をイメージしてください。このことを念頭に置いてその部分を読んでみたいと思う

 

マタイによる福音書5章13節

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とりあえず塩に関してはわかっていただけたとおもう。

次にイエスが弟子たちに言わんとしていたこと。

あなたがたは、地の塩だといっている。つまり、人類全体の中での塩なんだと。ここでは何が言いたいのかというと、この悪魔の支配する世はもう腐敗しまくっているということです。ただ、イエスの弟子になりたい人はそのような腐敗した世にあって、腐敗を防ぐ影響力をまず自分自身が身につけなければならないといっている。そうなってくると、今までずっといってきたこと。基盤となるのはヤハウェの霊です。その霊を基盤として自分自身が霊的な塩にならなければならないということ。そして、今後は腐敗を防ぐ影響力を他の人に及ぼすという点で霊的な進歩、霊的に進歩しなければならないということを示唆している。

まず、自分がヤハウェから見て、また、イエス・キリストから見て霊的な塩になることができれば、どれだけ悪魔の世が腐っていたとしても、自分が悪魔の世によって腐敗させられることもないでしょうし、腐敗を防ぐ影響力を他の人に及ぼすことができたら、もう本物。

ただ、13節をみると、もし、塩のききめがなくなったら捨てられる以外にないということ。

エスは弟子たちに、塩のききめを失わないようにといっている。そして、他の人にも霊的な腐敗、あるいは、道徳的な腐敗を防ぐよう影響力を及ぼせるような人間へと成長するための努力を期待しておられるわけです。ですから、そういう意味であなたがたは地の塩であるといっている。

これまで新しい人格の培い方について何回も話をしてきた。もし、皆様がヤハウェからみてそのような新しい人格を培われているなら、また、今回のイエスが言われた地の塩のような存在になるなら、皆様の身近な人はどう思われるでしょうか?

その変化した皆様を見て、その時点で影響を及ぼしているということ。それで、今度は最も身近な家族も地の塩になれるよう、援助できたら⁉️ということです。

そうなれば、悪魔の世で腐敗を防ぐ影響力を及ぼすことができたと言えるのではないか?

イエス・キリストが望んでいるのは、形だけの集会ごっこではない。

宗教指導者の説教を聞いているだけでは、地の塩にはなれませんし、また、正しい方法も教えてくれるわけではありません。イエス・キリストからあなたがたは本物の地の塩であると言われるように努力していただけたらとおもいます。