《十四万四千人の知られざる奥義》(18)
巻物を開いて、それを見ることができるものは、ひとりもいなかったといっているのは
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ヨハネのこの時の認識
そのようなものがどこにも見当たらない、幻を見たのではなく、み使いの問いかけに対する、ヨハネ自身の答え。
見るのにふさわしいものがいないので激しく泣いた。
それを見て長老の一人がなんといったか?
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ユダ族のしし、ダビデの若枝、勝利を得た方
つまり、イエス・キリストしかこの巻物を開き、封印をとくことができるものはいないということをヨハネに思い起こさせた。
この巻物を開き、封印を解くことが出来るのは、イエス・キリスト以外にはいないというのは、どう意味か⁉️
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理解できているかどうか?ということではない。
イエス・キリストは、使命を果たされたのち、美座そのものにあげられている。
あくたで、ヨハネがみた幻で、それをヨハネが描写したもの。それらを正確に文字化したり、図に表すのは無理がある。
ただ、1つだけ言えることは、この時点での、イエス・キリストの立ち位置は
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ケラビムやセラフィムたちよりも、ヤハウェに近い存在であるということ。
七つの角とは⁉️なんのこと?
勝利を得たイエス・キリストにはどのような権威が与えられているのか?
マタイによる福音書28章18節
イエス・キリストは、まさしく、この巻物を開き、封印を解くのにふさわしい方といえる。
聖霊はヤハウェの御霊といわれているし、キリストの御霊、あるいはキリストの霊ともいわれている。
聖霊による証印がいつはじまったのか?
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イエス・キリストが亡くなって、そして復活後、さらに昇天後、その同じ年の五旬節の祭り以降。
この霊は全世界につかわされたと書いてあるので、一世紀当時、つまり過去のことだけではなくいまの終末の期間において現在進行形で、特にいま、成就している。
イエス・キリストがこの巻物を開いて封印を解いてくれているという意味ではない。また、いま、イエス・キリストが特定の誰かを用いて(特定の団体、組織、の個人)というそういう意味でもない。
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ヨハネの黙示録5章6節をよく注目してみてください
聖霊による証印を押されている方々、皆様が次の聖句の預言を経験する時期にきているということ。
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ダニエル書12章10節
いまこそ自分を清め、白くし、且つねられるよあにするなら、各自が感覚的にヤハウェとつながる術がわかってくる。
下記の聖句にも合致している。
聖霊には、巻物の封印及びその他の聖書の奥義を理解する。要するに悟るための助けが……
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皆様には聖霊があたえられている。
自分を清め、白くし、ねられるならば…
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これが、十四万四千人の奥義。十四万四千人として召されることを祈望される方々、あるいは、自分にはもう聖霊による証印がおされていると自覚されている方々は、
ヤハウェに
『自分に与えてくださった、その聖霊を、呼び覚ましてください。そして、その聖霊によって自分がすべきことを理解させてください』とプレイヤーしてくださったらとおもいます。