《高次元で最高級の行為とは?十四万四千人の奥義》(17)
二十四人の長老と四つの生き物について、もう少し……⬇️
四つの生き物=ケルビム
8節⏩ケルビムがヤハウェに対してとった行動。これをみて、ヤハウェに対するどのような気持ちや感情をよみとることができるか?
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ケルビムは自由意志がある。ヤハウェを賛美したいと思わなければ、しなくてもいい。要するに言わされているということはないということ。
しかし、その、ケルビムがヤハウェに対する感謝や愛着心から、昼夜、賛美せずにはいられない。側近のケルビムだからこそ、他の普通の御使いたちよりも、ヤハウェのことをよく知っているはず。そのケルビムがヤハウェのことを昼も夜も絶え間なく叫び続けていたと書かれてある。
それほど、ケルビムが讃えずにはいられない。ヤハウェという神は、ケルビムがそれほど、感謝や愛着心を示すほどの方であるということ。
二十四人の長老はどうでしょうか?
興味深いのは、10節の『彼らの冠を御座の前に投げ出して言った』というくだり。
日本語の『投げ出す』という言葉には、いろんな意味がある。途中でやめる、仕事を投げ出すとか……ここでは、投げ出すと訳されたわけだが、次のような意味で訳されたのでは?
投げ出すという別の用法としては、大切なものをある目的のために、惜しげもなく差し出すという意味で用いられる場合もある。
ヤハウェには目的がある。ヤハウェの崇高な目的を叶えるためなら、自分のセラフィムとしての立場を差し出すこことも辞さない。
高次元ではらルシファーの世のような上下関係は存在しない。
例えば
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5節をみると誰が私たちの神、主のようであろうか?⏩ヤハウェは最も高い御位に座しておられる。にもかかわらず、6節をみると、身を低くして、天と地をご覧になるとかかれてある。
身を低くするという行為が、高次元において最も価値ある行為。
おそらくこれを聞いてもあまりよくわからないと思うかもしれない。自分を低めることがそれほど価値のある行為なのか?我々はずっとこのルシファーの世で、悪魔の世で生きてきた。この世の価値観をうえつけられてきている。
でも例えば……⬇️
イエス・キリストのことを思い出してください。
なぜ、子である神がこの地上にきて、キリストとしての使命を果たされたのか?
この悪魔の世で認められるような仕方で、自分を高めるためでしょうか?
そうではない。
子である神が、自らを低くして、み使いたちよりも劣っている人間として生まれてくることを自ら志願した。
別の例
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人間と同じ僕仲間だといっている。
これらの例からなにがわかるでしょうか?
高次元の身使いたちは、ヤハウェのようになりたいという気持ちから、それが価値観になっている。悪魔の世で生活していると、上に立っている人は、周囲の人から手伝ってもらうのが当たり前になってしまっている。人から軽視されたりすると、、不快に感じるものです。
そのように気づくということは、不完全な人間でも、自分を低めること、謙遜さが価値あることだという価値観はある程度は備わっている。
自分を低くしている人を見ると、爽やかで、気持ちよく感じ、自分も次はそのようにしようと思うことがあるかもしれません。
高次元においては、身を低くすることは、最も価値ある行為で、誉れであり、栄光ある行為である。
セラヒィムはケラビムよりもヤハウェに対する深い感謝の念をもっていて、側近だからこその愛着心も強い。
ヨハネの黙示録の中で、十四万四千人という言い方で、天に召されるものたちのことを記している箇所は7章と14章だけ。
5章の中でも、十四万四千人のものたち=天に召されるものたちについて記述されている。
5章のまぼろしのなかで、登場してくるのは
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御座にいます方=ヤハウェ
一人の強いみ使い=誰か?
二十四人の長老、四つの生き物
小羊=イエス・キリスト
十四万四千人