《子たる身分を授ける霊・「アバ、父よ」》(15)
まず、聖霊による証印を押されている方々はこのことを実感するはず。
この聖霊が、なぜ、神の御霊とだけではなく、キリストの霊とか、キリストの御霊と表現されているのか❓
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この動画のシリーズの「聖霊はどのようにして与えられるのか?」(10)の中で、ヨハネの福音書14章の解説をしてくれています。
その動画を見ると、なぜ聖霊がヤハウェの御霊とだけではなく、キリストの御霊と言われているのか❓その理由が理解できます。
まず1つ目の要点
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「アバ、父よ」
どういう意味なのでしょうか⁉️
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ヤハウェは全能者また、創造者などの称号があります。そのような方ですから、我々からすると、崇敬の念をこめなければならない存在には違いない。それでも、そのような、親愛の情のこもった、お父さん、パパ、あるいは父よという感情も強まってくる。
そのような感情や確信が強くなってくると、そこには、形式ばったものとか、堅苦しさ、遠慮など、なくなってくる。
ある聖書学者が、「アバ」「父」の2つの語が一緒に使われている理由を次のように述べています
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皆様にとってヤハウェは最も尊敬できる方、心から信頼できる父親のような存在でしょうか⁉️
そうであれば、ヤハウェからの適切な言葉や知恵のアドバイスには、進んで耳を傾けよう、応じようとするはず。むしろ自分の方から求めようとすると思います。また、自分を子としての関係に入れてくださろうとしていることも当たり前のことではない。そのことに対する感謝の気持ち。そして、子としての関係に、入れていただけるわけだから、子としての責任に対する認識も生じてくる。「アバ」「父」はそれらが増し加わった状態
では、次の要点
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⬆️このようなことを経験するようになってくる。
何を祈っていいのかわからない時聖霊がそれをヤハウェに届けてくれる。そして、自分の気持ちがヤハウェに届いたと実感する。
今後、悪魔は我々の思い、心を何かしらの仕方でもっと押し潰そうとしてくる。そのような時に、言葉でどう表現したらいいのかわからないような時に、ヤハウェになんと祈っていいのかわからないような時に、聖霊がその思いをヤハウェに届けてくれる。そのような経験をすることがある。
そしてそのような時、自分の気持ちがヤハウェに届いたと実感する。そのような言葉にならないうめ気がヤハウェに届いているのであれば、日々のプレイヤーはなおさら、ヤハウェに聞いてくださっているという確信。皆さん実感しているのではないでしょうか⁉️
聖霊による証印は、あくまでも仮選別にすぎない。⬇️
思い起こしてください。
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つまひ、自分に降りかかってくる苦難は、悪魔が仕掛けてきているもの。
この苦難から逃げるなら、聖霊による証印は取り消されてしまう。
今後、皆様の前にどんな苦難が来るかはわからない……でも恐れる必要はない、
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あなたは、聖霊による証印を押されていると思われますか⁉️