《十四万四千人へ。パウロからのメッセージ》(19)
小羊であるイエス・キリストは、十字架での死によって勝利を得た。そして、復活させられた。
復活したイエス・キリストは、昇天するまでの間、弟子達に大切なことを教えられた。しかし、弟子達は何もかも理解できていたわけではなかった。イエス・キリストは500人以上の当時の弟子達を集めてあることを言われた。
その時の様子
⬇️のように書かれてある。
もう一度ヨハネの黙示録5章6節にもどると
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小羊の七つの目、つまり、全世界につかわされた神の七つの霊(聖霊)は、先程の使徒行伝1章8節では、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまでとあります。
この七つの霊つまり、神の聖霊は、使徒行伝をみるとわかるが、まずエルサレムにいたイエスの弟子達にくだった。そしてその他のユダヤ地方にいるイエスの弟子達にくだっていった。さらにサマリアの地域、そして異邦人にも聖霊がくだるようになった。ただ使徒行伝1章8節で聖霊は地の果てまでとイエスは言われた。つまりヨハネの黙示録5章6節の表現を使うなら、全世界につかわされた神の七つの霊ということ。聖霊は一世紀当時のイエスの弟子達に与えられたには違いない。ただ、弟子達のうち、自分に与えられた聖霊を最後まで守り通すことができたものが、どれだけいたのか?正確な数はわからないが、かなり少なかった。
いつ受け取ったのか?
《補足情報》
ここで2つのグループが出てくる。
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16節のキリストにあって死んだ人々というのは、一世紀、聖霊による証印を受け、忠実のうちに亡くなり、ヤハウェに記憶されていて、ハルマゲドンの直前によみがえらされることになっている一部の人たち。その人達が、ハルマゲドンの決戦の直前にまず最初に復活させられるということ。
ハルマゲドンの決戦にあたって……
⬆️そのことが、別の視点からですが、かかれている
なんのために朽ちないものによみがえさせられるのか?
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ハルマゲドンの決戦に加わらせるため。
⬆️その2つの期間に十四万四千人が集められる。
西暦二世紀以降も終末の期間に入るまでにもヤハウェに忠実なものもいたかもしれない。でもそれらのものたちは、十四万四千人として、召されるわけではない。それらのものたちは、別の仕方で復活させられるということ。
ヨハネの黙示録5章7節にもどる。小羊が巻物を受け取ったことが描写されている。
8節をみると
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この立琴にら関しては……
手を上げる祈りとは、十四万四千人の一人一人の捧げもの。なんの捧げ物なのでしょうか?
勝利を祝ってヤハウェを讃えることが関係している。そして捧げ物とある以上自分をさしだすこと、自らすすんで立ちあがることも関係している。つまり、ハルマゲドンの決戦に自ら加わりたいという意思表示。忠節心が関係している。
9節をみると
ひとつの鍵となる言葉=新しい歌
ハルマゲドンの決戦に、ケルビムとセラフィムは加わる。
四つの生き物と二十四人の長老は、新しい歌を歌って次のように言った
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あなた=イエス・キリスト
ヨハネの黙示録7章にでてくる、大きな苦難、大きな患難、大患難を通ってくるすべての人々が贖われるわけだが、ここでの描写は、あくまでも十四万四千人のことについていっている。つまり、十四万四千人のものたちを贖いということ。また、9節をみると……
その血によって贖いと書いてあるが、血だけで贖われるわけではない。つまり、イエス・キリストの流された血に信仰を働かせるだけで、贖われるわけではない。
例えば……
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では、別の角度からもみてみよう
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もう一度注目
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どんな目的で集められるのか?
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ハルマゲドンの決戦に加わらせるため。
ケルビムとセラフィムは、新しい歌を知っていて、ハルマゲドンの最終決戦のために、いつでも準備はできているということ。
そして、十四万四千人を構成しているものはどういったグループだったか?
十四万四千人はヤハウェのために集められる以上、決戦に加わるためだけではない。