聖書を正しく理解する為の助け(1)

今回から、ずっと見てきた動画を振り返って、紹介していきたいと思います。

 

聖書を正しく理解する為の助けシリーズ

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https://youtu.be/5vAQF3XO9IE

 

山上の説教として有名な部分をできるだけわかりやすく解説できたらと思う。f:id:remedy5:20211222232345p:image

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と、かかれてあります。意味わかったでしょうか?

これを文字通り解釈すると大変なことになってし

まう。

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「心の貧しい人は、幸いである。天の国はその人のものである。」この訳だけを見ると、何を言っているのかわからない。

この部分はラテン語ウルガーター訳経由で訳さられているので、実は大切な部分が抜けてしまっている。

この部分の字義的な意味は、心の霊が憂ている人たちという意味。

ですから、外国のある翻訳によると、この様な意味で訳されている聖書もある。ある聖書は、霊を欲している人たちと訳されているものもある。

この部分を正しく解釈すると、

真に霊的なものを求める。あるいは、霊的な必要を感じてそれを欲している人たちと理解することができる。

もちろん、ここの「霊的」というのは、バイブルの霊的なものということ。

何でもかんでも、例えばオカルト界とかスピリチュアル界で言っている様なものではなく、バイブルが教えている霊的な必要のこと。

つまり、そのような霊的な飢え、霊的な必要を感じている人たちというのは、貧しい人が、貧しさを満たそうとするぐらいの吸収力がある。つまり、聖書の正確な知識、理解を一つでも取り入れたいという欲求がある。それで、天国、つまり神の国は、そのような人たちのものである。という意味。

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「悲しんでいる人たちは幸いである。彼らは慰められるであろう。」

この部分も文字通り極端解釈すると、常に泣いていないといけない、悲しんでいないといけないとなる。そうすると、どうして悲しんでいるのに幸いなのか?となる。

実際、聖書の他の部分をみると、例えばローマ人への手紙12章12節、そこを見ると、望みを抱いても常に喜んでいなさいとかいてある。そうすると矛盾が生じる。でも霊的な赤ちゃんがマタイによる福音書5章4節のこの部分を読むと、つねに泣いていないといけない。常に悲しんでいないといけないとなってしまう。

この部分は、何について悲しんでいる人たちなのか?ということ。

今のこの世、ルシファーの世の中です。こな世の中がいかに悲惨で非情で不正がまかり通っていて、弱い人たち、貧しい人たちが虐げ(しいたげ)られていて、苦しんでいる。そういう世の中を見て嘆いている人たちのことをいっている。

そのように嘆いて悲しんでいる人たちというのは、この今の世の中はおかしいと感じますので、バイブルの真理に引き寄せられる。そして、いまでも将来の希望や報いを知ることによって、実際に慰められるし、ハルマゲドン後は、全ての面において慰れられるということ。

 

5節も考えていく。
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「柔和な人は、幸いである。彼らは地を受け継ぐであろう。」と書かれてある。

これだけを見ると、性格の柔和な人達や、温和な人たちがこの地上を受け継ぐと、文字通りに解釈するとそうなる。

でも、実際世の中には柔和な人、また温和な人って山ほどいる。そして性格は柔和で、温和であっても、人を騙したり、腹黒い人もいる。ですから、ここでは、そういうことを言っているわけではない。

これは誰に対して柔和か?

ミカ書6章8節

へりくだってあなたの神と共に歩む

そのことを言っている。その様な謙虚さ、神に対する謙遜さ、神の言うことを聞き入れようとする柔和さのことをいっている。

そして、その様な人は、地を受け継ぐとかいてあります。これは地上を受け継ぐという意味ではない。バイブルの中で「地」というのは、一般的に全人類を指して用いられることがある。そう考えるならば、いま、謙遜に神の言葉を受け入れ、ヤハウェと共に歩む人たちは将来、高次元を選ぶにしても、この地上を選択するにしても、新しい世の最初の親になる。

 

つぎに6節

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「義に飢えかわいている人はさいわいである。彼らは飽き足りるようになるであろう。」

この部分はわかりやすい。現在神の義の基準を一つでも取り入れたいと願っている人たちのこと。つまり、義に飢えかわいているひとというのは、何が正しいのか、何が義なのかわからなくなっている。それで、バイブルの義の基準を知った時に、これが答えだ、これが真理だと感動するわけです。ですから、そういう点でヤハウェはその人たちの願いを現在でも満たしているということ。そして、将来その人たちには、詩編145編16節

の言葉が成就するわけなんです。

 

詩編145編16節

「すべて命あるものに向かって御手を開き望みを満足させてくださいます。」とかいてあります。

この、すべて命あるものというのは、高次元希望者ならば、霊の体が与えられた高次元にいくものたちのこと。地を選択する者にとっては、完全な体があたえられる。そしてヤハウェは全ての者たちの望みを満足させてくださる。ですから例えば、今、不完全な人間の思考の中で将来と考えても限界がある。完全になって初めて自分が湧いてくる。それを満足させてくださる。これ以上の報いはない。

 

聖書は文字通り解釈できる部分もある。ただある箇所に関しては、文字通り解釈すると、とんでもない極端な行動をとってしまうということもあるかもしれない。