聖書を正しく理解する為の助け(3)

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https://youtu.be/BkqZ2dIob0I

 

今回はマタイによる福音書5章9節です
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平和を作りだす人々はは幸いである。彼らは神の子と呼ばれるであろう。

 

この言葉について考えていきたいと思う。

 

まず、平和を作りだす人というのは、単に平和主義者とかトラバルメーカーにならなければ良いというそういう簡単な意味ではない。

作りだすという言葉からいえることは、例えば、何かアクションを起こせばそれだけ何某らの問題やトラブルが生じる可能性も高くなる。それで何もせずじっといている、待ちの姿勢でいいのか?というとそういうことでもない。

やはり、作りだすとあるように、自分の方から積極的に何某らの行動を起こすことが関係している。それで、バイブルがいう平和の概念をまず知る必要がある。

ヘブライ語シャロンギリシャ語のエイレイネーには幅広い意味がある。争いがないという意味もある。しかし、特にギリシャ語のエイレイネーに関しては、救いとか和合とか言った概念がある。

マタイによる福音書の5章9節のエイレイネー。争いがないという意味に加えて、救い、和合という意味がある。では、誰に対して争いがないということなのか?誰に対して救いを呼び求めるべきなのか?

誰と和合すべきなのか?結論はヤハウェ

ここまで話しただけでもここで言っている平和、一般に言われているような平和主義とかトラブルメーカーにならなければよいというものではないとは普通に理解できる。

もう一度マタイによる福音書5章9節にもどる。
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平和を作りだす人々はは幸いである。彼らは神の子と呼ばれるであろう。

 

ここで神の子と呼ばれるとあります。

何もしないで神の子と呼ばれるなんてそんな上手い話はない。待ちの姿勢でそんなことありえない。

平和というのはどのように作り出せばよいのか?

少し思い出してみてください。

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口語訳では御霊の実、新共同訳では霊の結ぶ実、その中に平和があります。つまり、平和は、霊の結ぶ実の中の一面ということ。霊の結ぶ実ですから、ここで言っている平和を作りだすには、基盤

として、神の霊の力が必要ということ。どうしてもら必要。そして例が働いた結果結ぶ実なので、平和だけを培うというそういうものではない。

霊の結ぶ実=平和を含めた御霊の実全部

関連聖句として

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ここを読むとその意味がよくわかると思う。

ぜひ読んでみて参考にしてください。

平和の概念の中に、争わないこととありましたが、誰と争わないことなのか?

ヤハウェとの平和な関係を培うためにと考えたら……

1つはヤハウェからみて、忌まわしいものとか、敵とみられたらアウトということ。そうならない為の方法は過去動画で説明してある。

特にイエス・キリストから終末の期間に生きる全ての選別者へのメッセージシリーズ、ルシファー最後の切り札シリーズ、そして高次元へ国籍を移すための準備は着実に進んでいますか?これらのシリーズで説明してある。まだ視聴していない方はその動画も視聴していただければとおもう。

あと、この平和の概念の中に和合というものがあるということだが、その点で

エペソ人への手紙2章14ー18節
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もしよろしければこの部分も読んでみてください。ここを簡単に説明すると、ヤハウェアブラハムのと間で結んだアブラハム契約そして、イスラエル国民との間で結んだ律法契約というものがあった。それで、最初はユダの家系、ユダヤ人に機会を与えられたわけなんです。しかし、この聖書の範囲を読むとわかるが、今ではユダヤ人ではない人たちにも救いの手が差し伸べられているわけなんです。つまり、イエス・キリストの死をもって全ての人がヤハウェとの平和な関係に入るというその道が開かれたということ。もちろん道が開かれたというだけで、入ろうと努めないのに自動的にヤハウェとの平和な関係に入れるわけではない。ここの部分は少し分かりにくい表現になっているが辛抱して話についてきていただきたい。

このエペソ人への手紙2章15節で、彼にあって2つのものを1人の新しいひとに作りかえて平和をきたらせとある、まずこの2つのもの、新共同訳では双方とありますが、これはユダヤ人と非ユダヤ人のこと。要するに全人類のこと。そして、1人の新しいひとにつくりあげというのは、ユダヤ人も非ユダヤ人もない、つまり、垣根を取り除いて1人の新しい人としてつくりあげということ。

14節にあるように、ご自身の肉によって、つまり、イエス・キリストの犠牲によって数々の規定からなっている戒めの律法を廃棄したのである。要するにアブラハム契約もモーセによる律法契約ももう関係ないということ。今はヤハウェからみると、ユダヤ人も非ユダヤ人もないということ。そして15節にはキリストは平和を実現しとあるが、誰との平和でしょうか?ヤハウェとの平和、和解、和睦ということ。

ここまでついてきてくれているでしょうか?

固い霊的食物なのでもう少し辛抱してついてきてください。

1人の新しい人とうのは、文字通りの1人の人のことではない。

ここの表現を使うと両者をひとつの体として、神と和解させと書かれてあります。この両者。ユダヤ人と非ユダヤ人というのは、ヤハウェから見てもう関係ないわけなんです。つまり、全世界の中からひとつの体として神と和解しようとするものを集めるということ。ですから、簡単に言うと、基本的には十四万四千人の高次元希望者のことをいっている。

その根拠となる聖句として

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ここに書かれてあります。12章のこの部分をみるとわかるが、キリストは体でいうと、頭です。ここからわかることは、キリストを通してひとつの体になったということ。ですから、十四万四千人というのは、キリストを頭にしたひとつの集合体、正式な集合体ということ。文字通りの1人のことではなく、キリストのうちに集められたひとりの体、肢体という意味で十四万四千人の高次元希望者のことをいっている。

そして地上を希望する者たちも高次元希望者が揃った後、集まってくるということ。

 

そしてピリピ人への手紙4章6.7節にあるように
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平和をつくりだす人というのは、そのように、ヤハウェと平和な関係になることをなによりも第一にする人のことをいっている。4章6節をみると、何事も思い煩ってはならない。ただことごとに感謝をもって祈りと願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよいと書かれてある。ですからそういう人というのは、人知では到底計り知れない神の平安、新共同訳では平和が心と思いを守ってくれるということ。つまり、ヤハウェとの貴重な関係から生じる独特の平和。

そして、ヤハウェはさらに我々に聖霊を与えてくださるんです。聖霊のことは

ヨハネによる福音書14章26.27節にかかれてあるf:id:remedy5:20220205212313p:image

その聖霊があたえられると、その聖霊は、皆さんの助け主になってくれます。

そうなれば27節にあるようにもうそこには恐れはないということ。ヤハウェとの平和を作り出した人たちには、霊だけでなく聖霊が与えられる。霊だけでもすごいのに、聖霊が与えられるわけですから……

ただ神の子としてこのような特権が与えられるのはヤハウェとの平和な関係を作りだす努力をしている人だけ。

そのような努力をしていないのに聖霊が与えられるということはありません。