《二十四人の長老と四つの生き物》(16)

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https://youtu.be/9LuEkrfoYqk

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 ⬆️を書いた時のヨハネは、イエスが生きていたその頃から比べれば、聖書の知識も円熟性も増していたと思うが、この同じ幻を使徒パウロもこの時よりもっと前に見ている。(ヨハネが見た時よりも何十年も前のこと) その時のパウロは自分のみた同じ幻を完全に解釈していた。

 

パウロが聖書筆記者として、ヤハウェまた、イエスから用いられるよりも前にその幻をみて、ある意味完全解釈していた。 ただ、使徒ヨハネに関しては、黙示録を完全に解釈していたわけではなかったかもしれない。 ヨハネは見た通り文字化しただけ。

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ヨハネの黙示録4章1、2節

使徒ヨハネは、高次元=天の幻を見せてもらったことが書いてある。

2節⏩御座にいます方=ヤハウェ

3節⏩ヤハウェについての描写。ヨハネの生きていた当時に考えうる最も美しく、貴重なものであった、あかめのう、碧玉でヤハウェの神聖さ、偉大さや畏敬の念を表現した。

また、御座のまわりには、緑玉のように見えるにじが現れていたとも書かれてある。

4節⏩二十四人のら長老は誰のこと?f:id:remedy5:20210910083119p:image

ヨハネの黙示録7章9節

数えきれないほどの大ぜいの群衆=大きな患難を通ってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。(ヨハネの黙示録7章14節)

 

ヨハネの黙示録7章13節

 その長老の一人が大勢の群衆について、白い衣を身にまとっているのは誰か?またどこからきたのか?とヨハネにたずねている。   

 

二十四人の長老も白い衣を身にまとっている。
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白い衣を着ているからということだけで、同じものたちのことを言っているのではない。

⬆️のことはヨハネの黙示録19章11節以降をみてもわかる。 ここでは、イエス・キリスト、高次元の御使いたち、十四万四千人全部白い衣を着ている。

                   

もう少し説明を加えると……

 ⬇️ 白い衣を身にまとっているだけでは、誰のことを言っているのかわからない。特定できない。

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ヨハネの黙示録19章14節 天の軍勢=十四万四千人も加わった御使いたちの軍勢のこと。

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イエス・キリストご自身については、ヨハネの黙示録11節〜13節にかかれてある。 

血染めの衣というと、一般には血を浴びるなどして、衣服が赤く染まった状態のこと。

返り血がついている場合を指すことが多いが、自分の流した血の時もある。

ここの血染めの衣は、血で染まって真っ赤になった衣ではなく、白い衣に血がついて赤くなっている状態。 イエス・キリストが身にまとっている衣は、イエス・キリストを表すための象徴して描かれているもの。

文字通りイエスの体に血がついているわけでも、着物などに文字が書かれているわけでもない。 

エスの衣に付いている血について、諸国民を撃った時の返り血ではない。血染めの衣を身にまとっているのはイエス・キリストだけ。他の天の軍勢の衣には血がついていない。

諸国民を撃った時の返り血であったなら、他のものにも返り血がついているはず。

ヨハネの黙示録19章13節で描かれている血染めの衣=イエス・キリストが十字架にかけられて流されたご自身の血を表している。

 

ヨハネの黙示録19章16節

この文字がはっきり見えるのも白い衣。

 

二十四人の長老のいる場所は?

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十四万四千人は、ヨハネの黙示録のこの幻の中では、二十四人の長老よりも御座に近いところ、存在として描写されている。

 

十四万四千人というのは、イエスとともにヤハウェの御座そのものにつくということ。

二十四人の長老はあくまでも御座のまわり。

二十四人の長老が十四万四千人ではないという根拠。

ヨハネの黙示録4章4節に、二十四人の長老は頭に、金の冠をかぶっているとかいてある。高次元にいるかなり身分の高い御使いである。

 

ヨハネの黙示録4章6節の四つの生き物とは?

その手がかりは?⬇️ f:id:remedy5:20210911045624p:image
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ヨハネの黙示録4章に出てくる四つの生き物とエゼキエル書にでてくる四つの生き物は、同じ物。

エゼキエル書10章をみると、四つの生き物がケルビムであることがわかる。


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二十四人の長老は何を表しているのか?

セラヒィムのほうが、ケルビムよりも立場は上。


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四つの生き物の方が、二十四人の長老よりも近い場所にいるように感じるかもしれないが、どうなのか?

一般的に、まわりというのは、何かを中心とし、それを取り巻く近い範囲、または、周囲、周辺などいろんな意味がある。

御座のまわりというのは、御座の周りの部分であって、御座そのものではないということ。

 

そば近く……とは?

そばというのは、対象となるものとは接していないけれど、ある対象のごく近くを指すときに使う言葉。さらに、近くという言葉は、そばという言葉をさらに漠然と曖昧にした言葉である。

 

あたりという言葉は、付近、漠然と近いところを指す言葉で、ある地点の周囲。ある範囲の場所、付近、また、場所などをはっきりと示さずに遠回しに言い表す言葉。

 

ヨハネは自分の見たなりに描写している。いろんな意味にとれる漠然とした言葉を使っている。ここでは、はっきりとした距離感はつかめない。

位置がどうこうということでもない。


二十四人の長老は十四万四千人のことではないということをおさえておく。